東京地方裁判所 昭和38年(ワ)9735号 判決 1965年5月31日
原告 本多政雄 外一名
被告 日本醗酵株式会社 外四名
主文
1、被告協和飲料株式会社、被告猪野富義、被告牧忠義は、各自原告両名に対し各金六六七、一二五円および内金五六七、一二五円に対する昭和三八年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2、原告両名のその余の請求をいずれも棄却する。
3、原告両名と被告日本醗酵株式会社、被告協和乳業食品株式会社との間に生じた訴訟費用は原告両名の負担とし、原告両名と被告協和飲料株式会社被告猪野富義、被告牧忠義との間に生じた訴訟費用はこれを五分し、その二を同被告らの、その余を原告らの負担とする。
4、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
原告両名訴訟代理人は、「被告五名は各自原告両名に対し各金二、〇七一、八七五円および内金一、八三九、二七五円に対する昭和三八年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因および抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。
(請求の原因)
一、事故の発生による訴外徹の死亡
昭和三七年一二月二三日午前一一時四五分頃、東京都豊島区椎名町五丁目四、一一〇番地山本牛乳販売店の前庭において、訴外工藤寛治の運転する小型貨物自動車(トヨエース、登録番号品四す四、七〇八号、以下「被告車」という)と訴外本多徹とが接触したため、訴外徹は頭蓋内損傷を受けて同日午後一時五〇分死亡した。
二、責任原因
(一) 被告会社三社の自動車損害賠償保障法第三条責任
被告日本醗酵株式会社(以下「被告日本醗酵」という)、被告協和乳業食品株式会社(以下「被告協和乳業」という)、被告協和飲料株式会社(以下「被告協和飲料」という)は共同して訴外工藤を雇傭し、被告会社三社の共同又は単独の業務に従事させていた。被告車は被告協和飲料の所有にかかるものであるが、被告日本醗酵、被告協和乳業もその使用を許されており、本件事故の際訴外工藤は被告会社三社の共同業務のため被告車を運転していた。従つて被告会社三社はいずれも被告車を自己のために運行の用に供する者というべきであるから本件事故による次項の損害を賠償すべき義務がある。
(二) 被告牧、同猪野の代理監督者責任
(1) 被告牧は、被告日本醗酵および被告協和飲料の代表取締役として、被告猪野は被告協和乳業の代表取締役として、かつ、被告三会社の実質上の経営担当者として、被告三会社に代つて訴外工藤を指揮監督する立場にあり、次に述べるとおり本件事故は訴外工藤の過失によつて惹起されたものであるから、民法第七一五条第二項の規定により各自本件事故による次項の損害を賠償すべき義務がある。
(2) 訴外工藤の過失。
(イ) 本件事故現場は、西方江古田方面から東方国電目白駅方面に通ずる幅九米の車道とこれに続く幅三米の歩道の北側にある山本牛乳販売店の前庭である。同店前は右車道、歩道に続いて東西一三・三米、南北四・二米の長方形の前庭になつている。右牛乳販売店は牛乳の店頭販売もしており、右前庭には公衆用の長椅子が置かれ、一般に解放されていた。車道および歩道から前庭にいたる地面上には視界を妨げる物は何もなかつた。
(ロ) 訴外工藤は被告車を運転して右車道上を西方から進行してきて、前記店舗前で車道から歩道に進入し、右前庭の東端前あたりの歩道上で東方に向つて一旦停止し、店舗前の前庭に乗り入れるべく後退をはじめ、約六・五米斜左後方に後退したとき、右前庭を東方から西方に向つて歩行中の訴外徹の背中に被告車の左後部を接触させて地上に転倒させたうえ、左後輪で頭部を轢いたものである。
(ハ) 訴外工藤は自動車運転者として、後退する場合は誘導員に合図をさせるか、自ら後方の安全を確めるなどしたうえ後退し事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り漫然と後退を続けたため、訴外徹を発見することができず、本件事故を惹起させたものである。
三、本件事故によつて生じた損害は次のとおりである。
(一) 訴外徹は別紙第一表<省略>のとおり得べかりし利益の喪失による損害を蒙つた。
詳しく述べれば次のとおりである。
(1) 収入
訴外徹は昭和三六年七月二八日生れ(事故当時一年四月)の健康な男児であつて、本件事故に遭遇しなければ、第一〇回生命表のとおりなお六五年の余命があり、中学卒業後の昭和五二年四月から事業所に雇われて稼働をはじめ、月額金一〇、〇〇〇円の給与(就職後一年九月を経た昭和五四年一月を第一回とし以後一年を経過する毎に一、〇〇〇円昇給)と賞与(毎年六月と一二月に各一ケ月分支給されるものとする。ただし、初年度の六月は支給されないものとする。)を得て、五五歳の停年に達する昭和九一年七月二八日までこれが継続し、その後なお六年間(昭和九七年六月三〇日までとする。)稼働し、その間停年のときの八割に相当する給与および賞与を得る筈であつた。
(2) 生活費
訴外徹の生活費は死亡の日である昭和三七年一二月二三日から満三歳に達する昭和三九年七月までは毎月金三九、三一一円(右金額は総理府統計局の家計調査報告による昭和三八年度における東京都の勤労世帯一ケ月平均消費支出額金五二、三七二円を世帯人員数四、一四で除した均分額金一二、六五一円と最近における東京都の家政婦の日当金八六〇円を三一倍した一ケ月分金二六、六六〇円を加算した額に相当する。)以後中学を卒業する昭和五二年三月までは毎月金一二、六五一円、以後稼働の終了する昭和九七年六月まで、月の総収入が六〇、〇〇〇円未満の月は金一二、六五一円、六〇、〇〇〇円から六五、〇〇〇円未満の月は金一二、八五五円、六五、〇〇〇円から七〇、〇〇〇円未満の月は金一三、三八八円、七〇、〇〇〇円から七五、〇〇〇円未満の月は金一四、三六九円、七五、〇〇〇円から八五、〇〇〇円未満の月は金一四、七八五円、八五、〇〇〇円から九〇、〇〇〇円未満の月は金一五、四一三円、そして九〇、〇〇〇円から一〇〇、〇〇〇円未満の月は金一六、〇八一円(右収入別の生活費は東京都総務局統計部経済統計課の「東京都標準世帯家計調査報告」中の昭和三八年中の実収入階級別生計支出額を世帯人員数で除した一人当り一ケ月平均生計支出額に相当する。)を越えない筈であつた。
(3) 純益
右(1) の収入から(2) の生活費を控除したものが訴外徹の純利益であるが、昭和三七年一二月三一日現在の一時払額に換算するため純益はいずれもその年の末日に取得し、純益が生ずるまで生活費はいずれもその前年の末日に支出するものとし、ホフマン式計算方法により年毎の純益からそれぞれ民法所定の年五分の中間利息を控除すると金一、五四四、三〇〇円となる。
(二) 訴外徹の慰藉料
訴外徹は幼くして生命を失つたものであり、その精神的苦痛に対する慰藉料は金一、〇〇〇、〇〇〇円を下らない。
(三) 原告らの慰藉料
原告政雄は事故当時三五歳、原告多恵子は三七歳であつたが、原告らは昭和二八年に結婚し、長女まさ恵(当時九歳)、長男嗣夫(当時八歳)、次男徹をもうけ、原告政雄は築地中央市場にある株式会社銀泉に勤務し月額四〇、〇〇〇円の賃金を得ており、幸福な生活を送つていたところ、格別慈愛を傾けていた訴外徹を失いその後三男智男が出生したとはいえ、その精神的苦痛は大きいから、原告らに対する慰藉料は各金八〇〇、〇〇〇円を下らない。
(四) 相続
原告らは、訴外徹の死亡により、父母として、訴外徹の右(一)、(二)の損害賠償債権を二分の一あて相続によつて取得した。原告らの右取得金額は各金一、二七二、一五〇円である。
(五) 保険金および弁済の受領
原告らは自賠法による保険金として金二七五、七五〇円、被告協和飲料から本件事故による損害賠償として金七〇、〇〇〇円、訴外工藤から同趣旨で金一二〇、〇〇〇円の支払を受け、右(四)の一部に充当したから、残額は各金一、〇三九、二七五円となる。
(六) 弁護士費用の損害
原告らは、昭和三八年一〇月一四日、弁護士坂根徳博に対し、右(三)(五)の合計金一、八三九、二七五円の各損害賠償債権につき、被告らを相手方として訴を提起することを委任し、東京弁護士会報酬規定の最低割合のとおり報酬を支払う約束をしたので、右約旨に従い、委任の日に各金一一六、三〇〇円、第一審判決言渡の日に各右同額を支払うべき債務を負担した。
四、よつて原告らは各、被告らを各自に対し、前項(三)、(五)、(六)の合計金二、〇七一、八七五円の支払と右のうち(六)を除く残額金一、八三九、二七五円に対する損害発生の日の後である昭和三八年一月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
(抗弁に対する答弁)
一、原告らが被告協和飲料と和解契約を締結したとの事実は否認する。ただし被告の主張する金員を受領したことは認めるが、右金員は金二〇、〇〇〇円の香典と葬儀費用の一部に充当する趣旨の金五〇、〇〇〇円であつて、和解金として受領したものではない。
二、原告らに過失があつたとの事実は否認する。
被告五名訴訟代理人は「1、原告両名の請求をいずれも棄却する。2、訴訟費用は原告両名の負担とする。」との判決を求め、請求の原因に対する答弁および抗弁として次のとおり述べた。
一、請求原因第一項の事実は認める。
二、請求原因第二項については、
(一)のうち、被告協和飲料が被告車の所有者であつて、訴外工藤を雇傭していたこと、訴外工藤は本件事故の際、被告協和飲料の業務執行中であつたこと、従つて被告協和飲料が被告車の運行供用者であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二)のうち、(1) については原告主張の被告らの代表関係のみ認め、その余の事実は否認する。(2) については訴外工藤に過失があつたことは否認する。なお、原告主張の事故現場の山本牛乳販売店前の前庭は、同店の荷物積降場として、自転車、自動車が常時出入する場所であり、同店は配達販売を主体としていて、長椅子は配達人が荷物の積降や配達袋を置くために使用していたもので公衆用に開放されていたものではない。
三、請求原因第三項については
(一)のうち、訴外徹の年令、および第一〇回生命表による余命、訴外徹が生存していれば、原告主張のときに中学校を卒業することになること、総理府統計局の家計調査報告によれば、昭和三八年度における世帯人員四、一四人の東京都勤労世帯一ケ月平均消費支出額が五二、三七二円であることは認めるがその余は否認する。
なお、訴外徹は幼児であるから精神的苦痛がないうえ、請求の意思表示もしていないから慰藉料請求権は発生しない。
(二)、(三)の慰藉料額は争う。ただし(三)のうち家族関係および年令は認める。
(四)のうち、原告らが訴外徹の相続人であることは認めるがその余は否認する。
(五)は認める。
(六)のうち原告両名がその主張のとおり弁護士坂根徳博に対し訴訟委任をしたこと、は認めるがその余は不知。
(抗弁)
一、仮に被告協和飲料に本件損害賠償責任があつたとしても、同被告は原告両名と昭和三八年二月五日左記のような和解契約を締結した。
(一) 原告両名は被告協和飲料加入の自動車損害賠償保障法の保険金を受領する。
(二) 被告協和飲料は原告両名に対し、既に支払ずみの見舞金二万円の外金一〇万円を左記のとおり分割して支払う。
1、昭和三八年二月二三日限り金五万円
2、昭和三八年四月一〇日以降同年八月一〇日まで、毎月一〇日限り金一万円宛
(三) 原告両名は被告協和飲料に対し本和解条項以外に何らの請求をしない。
そうして、原告両名は右(一)の保険金二七五、七五〇円と、(二)のうち、1、の五万円を受領ずみである。
二、仮に右抗弁が認められないとすれば次のとおり過失相殺を主張する。
訴外工藤は誘導員にこそ後方の安全を確認させなかつたが、バツクミラーで後方に人がいないことを確認した外、運転台後方の窓からも後方を見て誰もいないのを確認したうえ、静かにハンドルを左に切りながら後退したのであるが、訴外徹が左から被告車の後退方向へ走り寄つてきたため、本件事故が発生したものである。
そうして、訴外徹は事故当時一年四月の幼児であるから、原告両名は親権者としていやしくも危険な場所に放置するなどして危険にさらすようなことのないよう訴外徹を監護すべき義務があるのにこれを怠り、事故当時原告政雄は自宅に就寝中であり、原告多恵子は当時九歳の長女まさ恵に訴外徹を預けたまゝ、自らは事故現場附近の美容院にいたものであり、右のような原告両名の過失は訴外徹の過失と同視せらるべきである。
(証拠)<省略>
理由
一、請求原因第一項の事実(事故の発生による訴外徹の死亡)は当事者間に争いがない。
二、そこで進んで責任原因について判断する。
(一)、被告協和飲料が訴外工藤を雇傭していたこと、訴外工藤は同被告所有の被告車を運転して同被告の業務に従事している際前示の本件事故が発生したこと、従つて被告協和飲料は被告車を自己のために運行の用に供する者であつたことは当事者間において争いがない。そうすると被告協和飲料は自動車損害賠償保障法第三条本文の規定により次項の損害を賠償すべき義務があるというべきである。
次に被告日本醗酵、同協和乳業が被告車を自己のために運行の用に供する者にあたるか否かを検討する。
いずれも成立に争いのない甲第四ないし第一一号証、第一二号証の一ないし四〇、第一九号証の三、乙第二ないし第八号証と証人春日徳次、同工藤寛治の各証言、被告猪野富義、被告牧忠義の各本人尋問の結果を総合すれば次のような事実が認められる。
(1) 被告協和乳業は被告猪野が中心となつて、自己の経営していた個人牛乳店を発展的に吸収して昭和三五年四月設立した乳酸菌飲料などの製造販売を目的とする会社であり、被告猪野が代表取締役となり、被告牧も役員として参加し、世田谷区上馬二丁目二五番地に店舗、工場を設置して営業していたが、昭和三六年秋頃不渡手形を出して営業不振となり、債権者に機械設備などを差押えられるにいたつたこと、被告協和飲料は元の商号をピロナ販売株式会社といい、(本来は東京酵乳株式会社という商号にする筈であつたが登記手続の過誤で上記商号となつた)被告猪野、同牧や都内の牛乳店主が数名集つて出資し、被告協和乳業と同じような営業目的をもつて昭和三三年八月頃設立され、本店を墨田区緑町に置いて営業していたが、昭和三七年三月商号を協和飲料株式会社と変更し、被告牧が代表取締役、被告猪野は金融上の理由で表面上は役員とはならなかつたが実質的には相談役として経営に参加し、本店も世田谷区上馬二丁目二五番地に移し、前記被告協和乳業の差押えられた機械設備を事実上使用し、営業しているうち、これも昭和三七年九月頃から資金不足で経営不振に陥つたこと、被告日本醗酵は、被告猪野が、被告協和乳業が右のように事実上営業ができなくなつたうえ、店舗などが都市計画によつて取毀されることになつたため、他の出資者の協力を得ながら川越市に工場を建設し、これに前記差押にかかる機械設備の競売における競落人から、右機械を借り受けて搬入し、他の被告会社と同種の営業目的をもつ会社として設立したものであること、しかして設立登記は昭和三七年六月になされたものの、工場の建物や敷地に関して他から告訴されるなどしたため、昭和三八年一月頃まで事実上営業はできなかつたこと、被告猪野、同牧は兄弟の関係にあり、いずれも各被告会社の代表取締役又は取締役の地位につき、その営業の実権を握つていたこと、被告三会社はいずれも同被告らの親族多数を無報酬の役員として形式を整えた小資本で従業員も少ない同族会社であつたこと、
(2) 訴外工藤は昭和三一年大分県の中学卒業後、被告猪野にその個人牛乳販売店時代から雇傭されて牛乳配達などしていたが、昭和三三年冬に病気となつて約一年間郷里に帰つていたが再び上京して被告猪野のもとで働らき、昭和三七年九月頃一旦退職したものの、一ケ月も経たないうち再び猪野のもとに戻つて働いていて本件事故にいたつたこと、訴外工藤としては、被告各会社の右(1) 認定のような事情がよくわからないまま実質上の経営者である被告猪野、同牧に使われているという程度の意識しか持つていなかつたこと、
(3) 各被告会社の営業のために使用される自動車については、被告車および被告車と同型のトラツクを昭和三七年五月頃相前後して被告協和飲料において月賦購入し、その営業用に使用していたが、その後被告協和飲料の営業が不振となり、被告日本醗酵が営業をはじめるようになると月賦支払の関係で前記二台のうち、一台は販売会社に引き揚げられ、残りの一台は被告日本醗酵が月賦の支払を引受け、かつ、その営業に使用するようになつたこと、
右認定事実によれば、被告三社はいずれも別個の法人格を持つ会社ではあるが、その営業の実体は概ね被告協和乳業、被告協和飲料、被告日本醗酵の順で引き継がれたものであり、商号がそれぞれ異つてもその内容は変らないものであるとともに、時期的な面からこれをとらえると、登記簿上はともかくとして実際上は同時に二社以上が営業活動をしていたことはなく、訴外工藤も最初は被告猪野個人に雇われていたが、後に営業活動の主体が、被告協和乳業、被告協和飲料と変つていくに従い、右各被告会社に順次雇傭されるにいたつたもので、本件事故当時は被告協和飲料の雇人として、その業務に従事していたものと推認されるのであつて、右事実によれば、被告協和乳業、被告日本醗酵に関しては、被告車の運行供用者と認めるに足らず他に原告らの主張を認めさせるに足る事実および証拠もないから、原告らの被告協和乳業、被告日本醗酵に対する本訴請求は右の点において既に理由がなく、その余の判断を加えるまでもなく失当であるから棄却を免れない。
(二)、次に被告猪野、同牧の代理監督者責任について判断する。
(1)、被告牧が本件事故当時、被告協和飲料の代表取締役の地位にあつたことは当事者間に争いがなく、証人工藤寛治の証言、被告猪野富義、同牧忠義の各本人尋問の結果を総合すれば、本件事故当時、被告牧は被告協和飲料の代表取締役として、また被告猪野は被告協和飲料の取締役ではなかつたけれども経営上の実権者として相談役たる地位にあつて、具体的に訴外工藤を指揮監督して被告協和飲料の業務執行にあたらせていたことが認められ、右諸事実によれば、被告猪野、同牧は被告協和飲料に代つて訴外工藤を監督していた者というべきであるから、いずれも民法第七一五条第二項の規定により後記(2) 認定のとおり訴外工藤の過失によつて発生した本件事故による次項の損害を賠償すべき義務がある。
(2) 訴外工藤の過失
いずれも成立に争いのない甲第一九号証の一ないし三、五と証人工藤寛治の証言を総合すれば次のような事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(イ) 本件事故現場は牛乳販売店前の空地であるが、自動車交通量の極めて多い西方丸山方面から東方国電目白駅方面に通ずる通称「目白通り」といわれている幅員約九・一米の車道と幅員約三米の歩道に面し東西約一一米、南北四米の長方形の形状をなす右牛乳販売店に品物を搬入搬出する自動車、自転車が出入し荷物の積卸をする場所であり、そのため附近一帯の車道と歩道の境界にはガードレールが設置されているのに右店舗前部分は約一一、六五米にわたつてガードレールは設置されておらず、その中央部分は約五・四五米にわたつて歩道の車道寄りの端が斜に切り下げられて車道に接し、一見して右空地に自動車、自転車などの出入があり得ることがわかるような状況にあること、店舗前の歩道、車道から空地への見通しは良好で視界を妨げる物はないこと、
(ロ) 訴外工藤は後方のみ開放された幌付の被告車(後部の地上から車台までの高さ〇・六二米、同じくボデイ上部までの高さ一・一三米)を運転し西方から進行してきて、右店舗前で車道から歩道上に入り約九・一五米前進した後一旦停車し、右空地に入るため左斜後方に向つて後退を始め、約一〇・五九米後退したとき、被告車の左後部を右空地の北東隅あたりから西方に向つて歩行中の訴外徹に接触させて本件事故にいたつたこと、訴外工藤は後退を始めるとき左バツクミラーおよび運転台後窓から後方を見たところ人影を見えなかつたので運転台後窓から後方を見ながら後退していて訴外徹を発見できないまま本件事故にいたつたこと、訴外徹の身長は約七九糎であつたこと、
右(イ)、(ロ)の事実を総合すると、訴外工藤は運転者として後退するときは、後方の安全を確認して事故の発生を未然に防止すべき義務があるのにこれを怠り(特に左側後方を左側バツクミラーで絶えず注意していれば訴外徹を発見できた筈のところ、運転台後窓から後方を注意するだけでは、幌によつて左側後方の視界が狭くなるうえ、被告車の後部荷台の先端部分の高さが一・一三米もあり、これによつても視界が狭くなり、左側後方から進んでくる訴外徹の身長が七九糎であるから、運転台後窓から後方を見ても訴外徹は発見できない道理である)漫然後退した過失により本件事故が発生したというべきである。
三、そこで本件事故によつて生じた損害について判断する。(以下被告らというときは被告協和飲料、同猪野、同牧をさす)
(一) 訴外徹の得べかりし利益の喪失による損害
(1) 収入
(イ) 訴外徹が事故当時一歳四月の男児であつたことは当事者間に争いがない。
(ロ) 成立に争いのない甲第一号証と原告本多政雄、同本多多恵子の各本人尋問の結果によれば、訴外徹は当時三五歳の父、原告政雄と、当時三七歳の母、原告多恵子の間の長女まさ恵(当時九歳)、長男嗣夫(当時八歳)に次ぐ次男で健康であつたこと父原告政雄は自己所有の約一九坪の家に家族と共に住み、青果会社に勤務して月額約四〇、〇〇〇円の給与を得ていたこと、原告ら夫婦には本件事故後、さらに子供が生れたことが認められる。
(ハ) 成立に争いのない甲第二五号証によれば、昭和三八年度における東京都の中小企業(資本金三、〇〇〇万円未満、従業員一五人ないし二九九人)の中学卒業者の平均初任給は約一〇、五〇〇円、中学卒業者のモデル賃金(中学卒業者が現行の賃金規程および昇給事情のもとで、将来普通の能力と勤務成績で標準的昇進を続けた場合の賃金)によれば、一五歳の初任給一〇、五〇〇円、以後概ね一年につき一、〇〇〇円強の割合で昇給し、五五歳の停年時には約五一、五〇〇円の賃金を得ていること、大阪府における賃金事情も東京都のそれと殆んど変らないところ、大阪府の中小企業では平均して一ケ月の賃金を相当上廻る額が昭和三七年末と昭和三八年夏期に賞与として支給されていることが認められる。
右(イ)、(ロ)、(ハ)の各事実を総合すれば、訴外徹は本件事故に遭遇しなければ、なお、六四年生存でき(第一〇回生命表による)少なくとも、中学を卒業する一五歳時から初任給一〇、〇〇〇円(就職後一年九月を経た昭和五四年一月を第一回とし、以後一年毎に一、〇〇〇円昇給、毎年夏期と年末に各一ケ月分の賞与支給を伴う。たゞし初年度の夏期は支給されないものとする)を得て五五歳に達するまで稼働できるものと推認できる。原告らは訴外徹が五五歳に達した後もなお六年間収入がある旨主張するが、損害算定の基礎たり得る程度の蓋然性が大きいとは前出甲第二五号証の記載のみでは推認できないし、経験則上もこれを肯認することはできない。
(2) 生活費
そこで、訴外徹が右(1) の収入を得るに必要な生活費について検討するに、原告らが自認するところの訴外徹の右稼働期間中に要する生活費金額は相当と認められ、又、原告らは訴外徹の死亡時から稼働開始までの期間の生活費を計算してこれをも控除することを自認するから、結局右各金額を前示収入額から控除した額が訴外徹の得べかりし利益の喪失による損害額となる。
(3) 一時払額
よつて右損害額を損害発生時の一時払額に換算するため、ホフマン式計算方法に従い年毎に民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すると別紙第二表のとおり金九六六、四〇〇円となる。
(和解成立の抗弁について)
被告ら主張(抗弁一)のとおりの金員の授受がなされたことは当事者間に争いがないけれども、当時被告ら主張のような和解契約が成立した旨の被告猪野富義、同牧忠義の各本人尋問の結果は原告本多政雄の本人尋問の結果およびこれによつて認めることのできる原告らは被告協和飲料代表者の被告牧から葬儀費用にあてる合意のもとに額面金五〇、〇〇〇円の小切手と額面金一〇、〇〇〇円の手形五枚(いずれも不渡りとなつた)を受取つたほか、自賠法による保険金の支払を受けるため印鑑や保険関係書類を預り、保険金の支払があつた後示談の話合をすることになつていたが、そのまま会談が持たれるにいたらなかつたことに照し、たやすく採用できず、他に被告ら抗弁の事実を立証するに足る証拠もない。
(過失相殺の抗弁について)
前出甲第一九号証の一、二と原告本多政雄、同本多多恵子の各本人尋問の結果によれば、僅か一年四月で歩き始めたばかりの訴外徹は姉のまさ恵(当時九歳)に連れられて本件事故現場の空地の北東部隅あたりで遊んでいたところ、一人で西に向つて歩き出し本件事故にいたつたものであるが、その当時、原告らは訴外徹の監護をまさ恵に託したままで、原告政雄は事故現場近くの自宅で寝ており、原告多恵子は近所の美容院に出かけていたことが認められ、右事実と前示二、(二)、2の事実によれば、原告らは訴外徹の親権者として、危険な場所に赴かせないようにして自動車との接触事故を発生させないようにする注意義務があるのにこれを怠つたことが本件事故の一因ともなつたと認められる。そうして、右のように責任無能力者の監護義務者に過失があるときは公平の見地からして、これを被害者の過失と同視して損害額算定につき斟酌すべきであるから、右原告らの過失を前示三(一)の損害額につき斟酌すれば金六〇〇、〇〇〇円をもつて被告らの責を負うべき損害額と認める。
(二) 訴外徹の慰藉料
被告らは、訴外徹は一年四月の幼児であつて、精神的苦痛を受けないから慰藉料請求権はあり得ないし、仮に生じるとしても慰藉料請求の意思を表示していないから慰藉料請求権は生じない旨主張するが、幼児といえども当然に精神的苦痛を蒙り、慰藉料請求権を取得し得るものであり、その行使についても特にその旨の意思表示を必要とするものでないから、被告らの主張は採用できない。そこで訴外徹の慰藉料を検討するに、訴外徹は生後一年四月にして生命を失い、人生の始まりにおいて夢多い将来を奪われたものであり、本件事故の原因、態様その他諸般の事情を斟酌すればその額は金五〇〇、〇〇〇円を下らないと考えるのを相当とする。
(三) 原告らの慰藉料
原告本多政雄、同本多多恵子の各本人尋問の結果によれば、原告らは訴外徹の父母として、訴外徹の死亡を深く悲しみ、その後原告らの間に子供が生れたとはいえ、訴外徹が幼くして生命を失つたことを忘れかね大きな精神的苦痛を蒙つていることが認められ、右事実と前示三、(一)(1) (ロ)認定の事実および本件事故の原因、態様など諸般の事情を斟酌すれば、原告らに対する慰藉料は各金二五〇、〇〇〇円をもつて相当とする。
(四) 相続
原告らが訴外徹を相続したことは当事者間に争いがない。従つて原告らは訴外徹の有した右(一)、(二)の損害賠償債権を二分の一あて取得したものと認められる。
(五) 保険金および弁済の受領
原告らが自賠法による保険金として金二七五、七五〇円、被告協和飲料から本件事故による損害賠償として金七〇、〇〇〇円、訴外工藤から同趣旨で金一二〇、〇〇〇円の各支払を受けたことは当事者間に争いがなく、右金員の趣旨に鑑みこれを各二分の一あてその相続した訴外徹の得べかりし利益の喪失による損害に充当することとし、右金額を前示(四)のうちの得べかりし利益の喪失による損害額から控除すると、結局(四)の残額は合計各金三一七、一二五円となる。
(六) 弁護士費用の損害
原告本多政雄、同本多多恵子の各本人尋問の結果によれば、原告ら主張のとおり本件事故による損害賠償請求訴訟委任がなされ、その報酬支払の約束がなされたことが認められる。しかしおよそ不法行為による損害を蒙つた場合に、その賠償請求権実現のため弁護士に訴訟委任したときは、これに支払うべき報酬および手数料も右不法行為により通常生ずべき損害といえるのではあるが、その範囲は訴訟の必要性の大小、難易、請求額認容額など、諸般の具体的事情を斟酌のうえ、当該事件の処理に対する報酬および手数料としての相当性からこれを決定すべきであり、本件についてこれをみると原告らの負担した債務のうち、着手金各金五〇、〇〇〇円、成功報酬各金五〇、〇〇〇円をもつて相当な損害と認める。
四、以上のとおりであるから、被告協和飲料は被告車の運行供用者として、被告牧、同猪野は被告協和飲料の代理監督者として、各自原告らに対し、前項(三)、(五)、(六)の合計六六七、一二五円および右のうち(三)、(五)の合計金五六七、一二五円に対する損害発生後であることが明らかである昭和三八年一月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払義務があり、原告らの本訴請求は右の限度で理由ありとして認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 吉岡進 吉野衛 梶本俊明)
別紙第二表<省略>